天王森古墳から大刀形埴輪など多数出土したとの報道や講演会の開催などで、千数百年を遡る下松の歴史に多くの方々の関心が高まっています。こうしたことは近年になかったことですが、近隣に類例のない埋蔵文化財が市内で出土したのは今回が初めてではありません。昭和5年に卑弥呼の鏡といわれている三角縁神獣鏡や盤龍鏡など、4枚の銅の鏡が洲鼻の宮ノ洲古墳から出土しているというふうに聞いています。
まず、今回の天王森古墳の出土物は、どのような経緯で発見されたというか、発掘されたのか、お聞かせ願いたいと思います。 ○議長(金藤哲夫君) 河村教育部長。 ◎教育部長(河村貴子君) 今回の天王森古墳の埴輪についてでございますけれども、まず埋蔵文化財が存在する、そういった場所で工事を行う場合には、事前に届け出ていただくことが必要でございます。
◆13番(近藤康夫君) 今の天王森古墳のレーダー調査のことに関してですが、確認をしたいと思うんですけれども、先般、数多くの埴輪、その他のものが出たところはいわゆる一番高い位置の天王森古墳の周辺のところですよね。 もう一つ、この間の先生の話だと東光寺観音の北側に天王森西古墳というのがありますよね。
さらには、防災・文教・交流ゾーンにおける複合図書館や、この後の御質問にもございますサンビームやないの活用のほか、平成29年の月性生誕200年、平成30年の明治150年、昨年の国木田独歩生誕150年のように、今年は茶臼山古墳の大鏡の発見から120年、来年は本市ゆかりの児童文学作家いぬいとみこの生誕100年を迎えることから、歴史や文学という観点から本市を訪れていただくような取組にも、市民団体と連携を図りながら
次に、(3)文化財愛護意識の高揚について、最も近く指定された文化財は天王森古墳でございますが、天王森古墳についてはどのような方法基準で文化財の指定をされましたか。どのような手順を踏めば確認をしていただけるのでしょうか。 ○議長(中村隆征君) 小田教育部長。
下松市は、本当にいろんなところに古墳が出てというお話も聞いています。下松の何が一番魅力かと、住みよいまち下松ということで、もうアピール力抜群だと思うんですけど、その住みよいまちだからこそ古墳もたくさん出て、昔から住んでいたという歴史もちゃんとあると思うんですね。
ほぼ、同様の施設として、茶臼山古墳があります。茶臼山古墳の茶臼山古墳管理委託料は、令和元年──すみません。先ほどのも「平成30年」と申し上げましたが、「令和元年度」です。月性展示館。これも同じ比較として、令和元年で申し上げますが、茶臼山古墳管理委託料、152万7,916円。それに対して、来場者もいるのですけれど、来場者を入れると1万人を超すぐらいになるのですが、来館者だけだと3,359人です。
これにあわせて、10年来、付近にあります兜山古墳とかそういうものを地元の皆さんと整備しております。あわせて、この山口湾なり秋穂湾のよい景観を皆さんにぜひ楽しんでいただきましょうということで、今遊歩道の整備も進んでおります。こういう周辺の整備が進んでいる中、既存施設の活用が進むことで交流人口の創出につながり、一層の相乗効果が期待できると考えております。
埋蔵文化財とは、土地に埋蔵されている文化財で、具体的には、貝塚、古墳、城跡等の遺跡のほか、そこから出土する土器、石器、瓦片等の遺物が、これに当たります。埋蔵文化財を包蔵する土地は、現在、市内に約140か所あります。その包蔵地内で土木工事等のために掘削を行う場合には届出が必要であり、事前に施工業者等からの問合せに対応するために、包蔵地マップを作成しています。
そして、あと残り、これは著名なというか、代表的な文化財に関する維持管理費ですけれども、茶臼山古墳関連で約400万円。そして、町並み資料館というのがあります。これは、登録文化財になっていますけれども、町並み資料館関係で約年間350万円。そして、遠崎の僧月性顕彰会関連、これが約300万円。この3施設合わせて約1,000万円超えるわけです。
国における世界遺産登録への直近の取り組み状況につきましては、暫定一覧表に記載された遺産のうち、昨年7月に文化遺産の「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録されています。また、昨年2月には自然遺産の「奄美大島、徳之島、沖縄県北部及び西表島」が、そして本年1月には文化遺産の「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコに推薦されているところであります。
下松市は、歴史的に鑑みても、百済との交流があったと言われる宮ノ洲古墳、あるいは様々な古墳があります。また、ものづくり、吹奏楽等々、本市は文化の薫る下松市と十分言えると思いますので、今後、訴え続けてはどうかと思います。本市の文化について再度お聞きいたします。 ○議長(中村隆征君) 小田教育部長。 ◎教育部長(小田修君) 文化の発展についてということでございます。
それでは、再質問に入る前に、今回、こちらの質問をするきっかけになったのが、私に、山陽地区の下津にあります長光寺山古墳がありますが、その近所の方から相談がありました。山口市から来た人が「長光寺山古墳はどこですか、行く道がわからない、行きたいんです」という話がある中で、そういう迷っているということがあったということ。
質問で取上げております宅地開発敷地内に、天王森古墳と称する遺跡があることは、御案内のとおりかと思います。 後ほど質問席に立って写真もお見せ致しますが、先般何度かこの確認に参りました。確かに、前方後円墳の様相は呈しておりますが、かなりの土が流れ崩れておりました。 古墳の上には既に建造物が建っておりまして、コンクリートのベンチを置いた跡も見えます。
また、35ページの都市公園費で、修繕料について、場所はどこであるのかという質疑に、旭ケ丘児童公園の遊具修繕、茶臼山古墳歴史の広場の園路修繕、柳井川河川公園の街灯修繕などである。遊具については、年1回、専門業者に委託し、修繕が必要な箇所について実施しているという答弁がありました。
これまでに、本交付金を活用された事業の中で、南部地域の秋穂二島地域におかれましては、兜山古墳周辺を整備され、山口湾や瀬戸内海を見渡せる景観の保全に取り組まれております。
本交付金を活用して二島地域の兜山古墳の整備事業、阿東地福地域の伝統行事であるトイトイの活性化事業、阿東篠生地域の作家、氏原大作の顕彰事業、名田島地域の自然や歴史をめぐる散歩道という意味でありますフットパスの構築事業など、歴史文化に係る地域資源を活用した事業に取り組まれているところでございます。
弥生時代や古墳時代には、熊毛の豪族が強大な勢力を展開しており、その痕跡が玖西盆地には数多く残されています。そして、それらの遺跡から出土した埋蔵文化財は、現在、さまざまなところに分散保管されていますが、その全体像は定かでありません。 どのような埋蔵文化財が、どこでどれだけ保存されているのでしょうか。全ての出土品の責任体制を明確にして一元管理しないと、散逸してしまうのではないかと心配をしております。
宮ノ洲古墳から出土した三角縁神獣鏡、この議場でもいろんな方が提案されているこの神獣鏡、この銅鏡は大陸の進んだ文化を取り入れ西日本統一を目指す、大和政権にとっては同盟を結ぶほど下松は重要なところであったという証であると。江戸時代には、あるいは毛利の本藩の蔵が置かれた。 大正時代には久原房之助が工業都市建設の計画をここで持っていた。